Apr 02, 2010

ゴールドカードを持つことができればいいな

ゴールドカードを持つことができれば、なんとなく優越感に浸れるような気がするのは私だけだろうか。一般カードよりゴールドカードが何がしかの地位は、そのようなイメージを抱く。財布からキラキラのぞくゴールドカード、取り出すときにも停止する"ニヤリ"と変な笑みをこぼしてしまうかもしれない。ちょっと笑うのだ。
カードローンを持っている友人がある。どうしても持っているだけでなく、実際に利用しているようだ。よくもあんなありませんです高い金利のお金を借りる気になることを意味感心してしまう。本人曰く、カードローンを借りるときに決定されたお金を借りることができますが返された場合、少しずついいので使いやすいようだ。しかし、金利は確かに持っている。
 福島県は18日、全県民対象の健康管理調査を8月に始めるのに先立ち、6月下旬から浪江町と飯舘村、川俣町山木屋地区の住民や避難者ら約2万8000人の調査を行うと発表した。
 調査は問診票による外部被ばく量の推計を主に行う。具体的には事故後の滞在先や自家栽培の野菜の摂取状況などを調べ、推計に役立てる。
 これに加え、全身の放射線量を測定できるホールボディーカウンターと尿検査による内部被ばく量の測定を、子どもや屋外作業者を中心に100人規模で実施。対象者は町村が選び、尿中の放射性セシウム量と内部被ばく量を調べ、尿検査で被ばく量を推定できるかどうか検討を進める。
 県民健康管理検討委員会座長の山下俊一長崎大医歯薬学総合研究科長は「尿検査はホールボディーカウンターよりも、より正確に短時間で内部被ばく量を測定できる可能性がある」と説明する。
 県は学校、道路の放射線量測定システム構築など、特に子どもの被ばく量を低減する方針も表明。佐藤雄平知事が19日に首相官邸を訪れ、菅直人首相に支援を要請する。

 福島県災害対策本部によると、18日午後3時現在の県内各地の1時間当たり放射線量は、二本松市で前日を0.07マイクロシーベルト上回る1.62マイクロシーベルトとなった。
 福島市は0.04マイクロシーベルト減少の1.28マイクロシーベルト、伊達市は0.01マイクロシーベルト減少の0.73マイクロシーベルト、本宮市は0.04マイクロシーベルト上昇の1.18マイクロシーベルト、郡山市は0.07マイクロシーベルト上昇の1.29マイクロシーベルトだった。
 飯舘村は0.05マイクロシーベルト上昇の2.85マイクロシーベルト、南相馬市は前日と同じ0.47マイクロシーベルトだった。会津若松市と南会津町はいずれも0・・20マイクロシーベルト以下で、前日とほぼ同じだった。

 国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」執行委員会(委員長・桜井勝延南相馬市長)は18日、福島県南相馬市で会合を開き、7月23〜25日の野馬追のうち、花火で打ち上げた旗を騎馬武者が奪い合う「神旗争奪戦」などメーン行事の中止を決めた。
 会場の一部が福島第1原発から半径20キロ圏の警戒区域内で立ち入りができないなど、原発事故の影響から判断した。執行委によると、野馬追が現日程で行われるようになった昭和30年代以降、メーン行事が中止になるのは初めて。一部の神事などは、規模縮小や会場移転により実施する。
 会合は非公開で行われたが、事務局によると、中止になるのは初日夜に原町区で行われる宵乗競馬や軍者会、2日目の甲冑(かっちゅう)競馬、神旗争奪戦など。
 また、神旗争奪戦の後に行われる相馬中村神社(相馬市)への総大将の帰還(お上がり)は、初日に繰り上げ。最終日の野馬懸は、警戒区域にある相馬小高神社(小高区)から、多珂(たか)神社(原町区)に会場を変更する。避難区域外の相馬市や南相馬市鹿島区での出陣式などは、例年通り実施する。
 野馬追には例年、400騎以上の馬が参加するが、ことしは85騎程度の見込み。震災犠牲者への鎮魂を願い、行事名は「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」とする。
 桜井委員長は「災害により市民参加が難しく、規模縮小はやむを得ない。野馬追は市民の生活の一部で、継承へ最大限の努力をする」と話した。
 野馬追は、ことしから7月最終週の土〜月曜日開催が決まっていた。

 18日午前0時20分ごろ、青森県八戸市の八戸製錬八戸製錬所から119番があり、頭痛を訴えた男性社員3人が一酸化炭素(CO)中毒の疑いで市内の病院に運ばれた。3人とも会話ができ、命に別条はない。八戸署が原因を調べている。
 同署によると、搬送されたのは59歳、28歳、21歳の社員。八戸製錬によると、当時は鉛と亜鉛を分離する溶鉱炉を運転中で、3人は近くの配管の補修作業をしていた。
 東日本大震災後、溶鉱炉を止めていたが、18日午前0時ごろ、運転を再開したという。
 八戸製錬は震災の津波で電気系統を中心に設備が被害を受け、10日に操業を再開していた。

 東日本大震災から18日で100日目。大きな被害を出した宮城、岩手などでは、各地で慰霊祭が営まれた。整理できない気持ちを抱えたままの人、心に寄り添おうとする人…。祈りの百か日は、心の復興への長い道のりをも感じさせた。

 白いタオルをめくると、段ボール箱でできた仏壇が姿を現した。「守れなくてごめんね」。高橋千寿子さん(70)が、孫の裕貴君(7)の小さな遺影に話し掛けた。
 宮城県南三陸町の町民が避難生活を送る入谷小体育館。津波で自宅が流された高橋さん夫婦、娘、孫娘の一家4人が身を寄せる。裕貴君の隣には子煩悩だった父親の洋さん(43)の遺影が並ぶ。2人とも津波で流され、遺体で見つかった。
 「避難所なので…」。朝の日課を終え、千寿子さんはロウソクも線香もない仏壇を再び白いタオルで覆った。震災から100日。周囲への気遣いから心行くまで泣いたり、静かに祈ったりできないでいる。仮設住宅の抽選は4回外れた。
 稲作と畜産を営む高橋家は女系家族で、3代続けて婿養子を迎えてきた。裕貴君は69年ぶりの男子。「みんなで大喜びした」。千寿子さんが目を細める。
 同町小森地区にある自宅は海岸から約2キロ離れ、1960年のチリ地震津波でも被害を受けなかった。浸水危険区域にも入っていない。
 高橋さん夫妻は地震の直後「危ないから家の外に出て、広いところにいろ」と裕貴君に命じた。返事は「うん」。最後の会話になった。
 津波の襲来は全く頭になかった。道路をふさいだ電線の撤去や家の見回りに追われるうち、裕貴君を見失った。
 「文武両道で、本当に小学1年かと思うくらい運動も勉強もできた」。背番号を見れば楽天の2軍選手の名前まで言えた。孫自慢をもっとしたいのに裕貴君はいない。
 千寿子さんは「100日たっても、まだ現実を受け止められない。でも、このままではうまくない」とも思う。
 百か日法要の18日、高橋さん一家は洋さんと裕貴君の戒名をもらった。

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